SNSの嫌な空気

社会

TwitterXに名称変更されたぐらいから、色々考えてTwitter以外でも同じように使えるSNSを見つけておかないとなと思って、色々手を出している。

まず、一応Mixiにも登録してみた・・・が、UIが分からな過ぎて一旦放置。

次に、Treads、まぁこれはInstagramをやっていたら作っていて損はなさそうだったので、取り敢えず作ってみた。

それからBluesky、これについては招待制という事で、リクエストをしてから数ヶ月後に招待コードが届いてようやく始めたところ。

なんだか気がつけば、たくさんのSNSを使っている感じになっている。
日々投稿している物だけでもFBInstagramXThreadsBluesky・・・で、本拠地は特に無い感じ。

当初は写真の投稿も面白いよね、と思いつつInstagramをメイン的に使っていたが、インパクト勝負的なニオイがしてモチベーションは下降気味。

そう思っていると名称変更される前のTwitterで数名決まってやり取りする人が出来て、なんだかコミュニケーションが取れている感じで『SNSってこういうのが面白いのかぁ』とか思って、ここが本拠地的に思った事があったが、様々な路線変更・・・まぁ名称変更は影響から考えると極小さな事だが、それ以外の変更に『これって続くのかなぁ・・・まぁ続くけど・・・純粋にSNSをする一般の人は減るよね・・・』とか思って今に至っている。

Blueskyは始めるまでに数ヶ月待ったので、コードが届いた時は“待ちだるみ”・・・こんな言葉があるのかどうか分からないが『あぁ、やっと届いた・・・まぁとりあえず、アカウント作っとくかぁ・・・』みたいな感じ。
更には、いざ始めてみると・・・まぁ分かっていたことではあるが日本語の少なさに数日放置をする感じになってしまった。

空気が変わった

さて、で、今回の話のメインはThreadsになる。
Threads自体、まだ始まったばかりで同系統のその他SNSと比較すると機能はほとんど無いと言っても過言でないくらい。

まぁでも、気軽にメモ程度自分の思った事を書いたり、できればみんなに見てほしい写真を投稿したりぐらいには肩に力が入らなくてちょうど良い感じだった。

Instagramの派生という事だけど、Instagram自体アカウントは有っても放ったらかしだったり、既に使っていなかったりという人もいるので、皆んなフォロワーはInstagramのそれを引き継げる人ばかりでなくて、僕の場合は1/10ぐらいになった。

でも、それがちょうど良かった。

ただ、良いなって思った投稿にリアクションしたり、コメントしたり・・・

それが最近おすすめの空気が変わった気がした。

人が増えたからなのか、考え方の違いでぶつかったり、揚げ足を取ったり・・・

フォロー中のタブの方は当然自分が思ってフォローしているのでそんな事は無く平和なんだけど、自分から積極的にコミュニケーションが取れる人を探すタイプでは無いので、おすすめタブを見ておかないと新しい出会いがほぼ無い。
無いは、嘘か、自分の投稿にリアクションしてくれる人もいるので、ごく少数は新しい出会いがある、といった感じなので、とりあえず、おすすめタブも見るし、何より最近は立ち上げるとおすすめタブが開いた状態になるので無意識に見てしまっている。

まぁこういった事は長年運営されているSNSだとよくある事なんだけど、面と向かって言えない事でも、SNSなどネットなら言えてしまう人が多いらしく、現実よりももっと鋭利な色々が飛び交っている感じがする。

それが、Threadsはしばらく無かったので良かったんだけど・・・

こんな感じでSNSを離れていく人もいるよね・・・って感じた。

僕的には仕事の一環として一定SNSはやっておかないとダメなので完全に止める事は多分無いけど、積極性は無くなっていくよね。
ただ、自分の必要な投稿だけを続ける。
面白く無いアカウントが出来上がってしまう。

よく娘にも言う事があるけど、『他者を肯定したり受け入れたりする事と、自分を出さないのとは別』という話。

良い関係を築くにはお互いが自分を出した上でお互いを認め合う必要があると思っている。

SNSに至っては、わざわざ考え方の違う人に『それは違うでしょ!?』と指摘する必要も無い。
交わる必要がないからだ。

事実が明らかに違っている場合は、それでもあくまで上から目線などでは無く、面と向かって指摘する気持ちでちょっとコメントしてあげる感じが良いと思う。

過去Twitterは文字数制限が厳しく、略語が多数生まれたり、丁寧な言い回しは文字数が増えてしまうので端折られたりして、独特な文章が生み出される事に影響していた気がするが、それでもニュアンスが伝わる人同士での話での世界観な気がしている。

もし、その空気が読みきれないならそっとスルーするという方法もある。

詩的な文章の行間

思い返せば、Twitterがスタートした頃『短文ブログ』的に言われていた事もあったと思う。

ブログ、つまり何を書いてもOKなのだ。

今日思った事を書く、でも、明日はそれを否定するかもしれない。
そういう物だろう。

今回、嫌な空気を感じてしまったのは、ある詩的な文章が発端だった。

その文章は投稿直後ぐらいに僕も見ている。
言葉のままだと、『弘法、筆を選ばず』的な話が元なんだけど、それだけじゃ無くて、良い筆を持ったら筆が良いだけで中身が無くなる的な表現に受け取れる感じ。

正直僕も『これは極端な表現だなぁ・・・良く無い筆でも良いものは生み出せる的な事が言いたいんじゃ無いかなぁ・・・本心がそこに無くてもそう書いておけば良いのに・・・噛み付く人がいなければ良いけど・・・』と思ったどのぐらいか後、やっぱり発生していた。

噛み付いた人の内容は『良い筆を持つと良いものは生み出せないんですか?そんな事ないですよね?』といった極正論の様にも思えた。
ただ、文章が鋭利すぎた。

まず、自分のキャラクターをより正解の場所に居ると明確にし、フォロワーを巻き込んで外堀を埋める。

反論の内容的には僕が最初に感じたままだ、もちろん良く無い筆でも良いものは生み出せるという事は前提として、だからと言って良い筆を選ぶ事や使う事を下げる必要は無い。

多分、この投稿者もそれは分かっているに違いない、もし分かっていなかったらこんな投稿はわざわざしないだろう。
わざわざするという事は、この投稿以前にそう投稿してしまう何かがあったんだろう。

何よりも気になったのは詩的な文体だ。

これが、普通の文体なら僕も反論を返信するまではなくても、もっと反論を持っていたかもしれない。
ただ、文体が詩的だったので、行間に何かの意味を感じてしまった。

もう、そこには何があるのか分かるわけがない、その人のTLを遡って突き止める必要も無い。
多分SNSってそういうもんだろう。

まぁその切り取られた一つの投稿に噛み付くのもSNSかもしれないけれど、外野が見て悪い空気に感じる動きの中心には居たくない。

噛み付くのもSNS力かもしれないし、ひょっとするとこの投稿者は噛み付かれる事を前提に大きな動きを誘導したのかもしれない。

まぁでも外野としては嫌な空気だった。
僕の場合こういう時は完全にスルー。

まぁなので、SNSには向いてないんだけど。
それもSNSとの関わり方の一つかな。
そもそもリアルでの社会との関わり方がそうなんだから、ネット上だけ愛想良かったり、暴力的だったりするのもおかしなものだ。

SNSは交流の場所

SNSは多分交流の場所なんだろう。

今日アカウントを作ったからと言って初めての投稿を誰も見てないなんて事は多分無い。

逆にこのブログの様に自分で立ち上げる物に関しては、今日作って最初に投稿した投稿は有名人でも無い限り誰も見てない可能性の方が高い。

テリトリーとして考えると、圧倒的にブログの方がそれだ。

SNSにもプロフィールページがあるからテリトリーと勘違いするのかもしれないが、あくまで多数が交流する場で個を特定するための機能で名札みたいな物だろう。

他者を肯定出来ない投稿の部類はブログの方が望ましいと思う。

今回の事でも一瞬その場を取り持つ方向の投稿をしようともしたのだけど・・・SNS弱者の自分がする事でも無いし、投稿者の意図がそれを誘導する物なら自分も道化になってしまう。
それは、本意では無い。
という事で、ここに書いている。
ここは本来そういう事も意図している。

本意は出来るだけ、自分自身と同様に他者も肯定される文章が並ぶ事。

まぁ難しいんだろうけど・・・
なんとかなりませんかね・・・

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